地域の宝(子ども達)を地域みんなではぐくみましょう。
〜支え合い、助け合い、つながり合う視点から学校支援ボランティアを〜
益城町立益城中央小学校ボランティアの集い
益城町立益城中央小学校


 おはようございます。
 本日は益城中央小学校ボランティアの集いです。中央小学校にはたくさんのボランティアの方々がおいでて子ども達の学びを側面から支援していらっしゃいます。この益城中央小学校で行われている学校支援ボランティア活動がまさに地域の宝である地域の子ども達を地域みんなで育んでいる姿だと思います。
 皆さんも驚かれたことと思いますが、2月25日、名古屋市で起きた暴走自動車が信号待ちなどをしている人々を次々とはねる事件が起きました。3月3日には、千葉県柏市で刃物を振り回し盗事殺傷強件が起きました。この2つの事件の犯人に共通するものは、「社会から受け容れられていない」と思い、自暴自棄になりあのような事件を起こしたことです。もっと社会と関わりあっていれば、もっと地域の人々との交流があっていればあのような事件は起きなかったかも知れません。そう思うと悔やまれます。と同時にあの事件を遠い所のこととしてとらえるのではなく、自分の身近では絶対あのような事件は起こさせないという気持ちを持ち、地域の宝物であります子どもたちを地域みんなで育てていくという気持ちを地域が持つことが大切だと思います。
 皆さんには「地域の子どもは地域の責任として地域で育てていく」という気持ちが強くおありだからこそ日頃から益城中央小学校の教育活動のお手伝いをしておいでです。本日もこんなにたくさんの方がお集まりです。
 私が県教育委員会に勤めていましたとき、いじめ問題撲滅に関する協議会が開かれていました。その委員のお一人、当時豊野町子ども会育成会長であった方が次のような話をされました。
 訳あって、両親とは離れ、おじいさん、おばあさんと暮らしていた一人の中学生が、学校で勉強はしない、悪さはする、山学校はする。山学校とは「行ってきます」と言って朝は家から出るものの学校へは行かないで、近くの野山で時を過ごし、みんなが帰る頃「ただいま」と言って帰り、家人には学校に行っているように見せかけることです。家でも、おじいさん、おばあさんの言うことは聞かない。地域でも近所の子を泣かせるという悪ごろだったそうです。仮にA君とします。A君は、地域でもあの子は「悪ごろ」とレッテルを貼られていたそうです。会長さんはそのA君を子ども会がある度に声をかけ子ども会に参加させたそうです。それを見ていた育成会員から、「会長、悪ごろのAは子ども会には参加させない方がよいのではないでしょうか」との声があったそうです。「家庭でも学校でも地域でも悪ごろというレッテルを貼られている子だからこそ、子ども会で一緒に活動をさせ、地域の子の一人として中学校を卒業させたい」と会長さんは自分の思いを会員に話し、周りの反対があっても一緒に活動させたそうです。そのA君は中学校を卒業して仕事に就くことができたそうです。6月頃のある日、「悪ごろと言われていた自分が中学校を卒業でき、就職できたのもおじさんが子ども会に誘ってくれたから。もうすぐ夏休み。自分が子ども会で一番思い出に残っているのは海水浴でのスイカ割り。今年も海水浴でスイカ割りがあるだろう。その費用の一部に使って欲しい」との手紙に、初めてもらった給料の中から数千円を添えて送ってきたそうです。かな釘をひん曲げたような字で書いてあったその手紙を海水浴に行くバスの中で読み上げたら、育成会会員みんなが自分の行為を恥じましたと話してくださいました。
 A君は子ども会育成会長さんの誘いを通して地域から「見守られている」という包み込まれ感覚を実感したのですね。そして、人としての道「生きる力」を身に付けたのです。
 またこんなことも言っておられました。「今の子どもたちは3つの恩を忘れてはいないだろうか。3つの恩とは、親の恩、先生の恩、地域の恩です」と。この3つの恩を子どもたちに意識させ、親に、学校に、地域に感謝できる心を育てていきたいと。冒頭話しました事件は、この3つの恩をしっかりと自覚しておれば起きなかったかもしれない事件ですよね。
 皆さんが学校支援ボランティアとして学校教育活動にご協力いただいていることで、子どもたちは「地域の恩」をしっかりと自覚していると思います。と同時に、豊野町子ども会のA君のように、ここ益城中央小学校の子どもたちも「地域の人から見守られている」という包み込まれ感覚を実感していることと思います。この包み込まれ感覚が自尊感情を育みます。自尊感情があれば自分を大切に生き、こう生きたいと明確な目標を持つことができます。ですから先行き不透明な21世紀に生きる子どもたちに最も大切なものが自尊感情の醸成だと私は思っています。それは、20世紀までは生きる目標があったんですが、今は目標を持ちづらくなっているからです。社会にも、個人にも。世界的に見てみますと、第2次世界大戦後日本は「欧米諸国に追いつけ、追い越せ」で欧米を目標に政治経済、文化、スポーツなどに一心に取り組みました。その結果、それぞれの分野で大きく成長を遂げました。欧米に追いついた今、理想とする国がありません。日本の将来は日本が独自で追い求めていかなければならなくなりました。このことは日本だけの問題ではありません。いわゆる先進国と言われる国々は全てそうですよね。個人レベルで見ますと、以前は「末は博士か大臣か」という言葉がありましたように、それぞれが自分の目標を明確に持って生きていました。そしてその目標実現のために努力していました。今は、変化の激しい時代だと言われ、明確な生きる目標を持ちづらい世です。子どもたちに「将来何になりたい?」と聞くと、「わからない」「決めていない」などが返ってくることがあります。こういう時代だからこそ、自分を大事にする気持ちが大切なのです。これが自尊感情です。
 自尊感情とは、大まかに言いますと「自分もたいしたもんバイ。この自分を大切に生きていこう」と自分自身を価値あるものと思う感情のことです。この自尊感情は21世紀を生き抜く見えない学力とも言われてます。
 この自尊感情は、子どもだけに必要というものではありません。私たち全てに必要なものです。特に本日お集まりの皆さん方はこの自尊感情が高い人ばかりです。それは、忙しい毎日の時間をやりくってボランティアとして学校教育にご協力いただいています。これは自尊感情が高くないとできるものではありません。この自尊感情が高い人、低い人がいます。また、高い状態になったり低い状態になったりすることがあります。今ちょうど、大相撲春場所が大阪で開かれています。1年ほど前に引退した高見盛というお相撲さんを皆さんご存じでしょう。私は大好きでした。人気者でしたね。あの高見盛が相撲に勝って花道を下がる時の姿、皆さんもご存じでしょう。胸を張って顔を上げて意気揚々と下がっていましたね。負けた時は、下を向いてしゅんとなったような状態で下がっていました。胸を張って上を向いているときが自尊感情が高い状態です。下を向いている時が低い状態です。この低い状態が長く続くと要注意です。子どもや若者だったら不登校や引きこもりにならないとも限りません。高齢者だったら高齢者鬱病にならないとも限りません。身近に、最近あの人は下ばかり向いているというような人がいたら声をかけてください。
 この自尊感情を支える4つの感覚があると言われています。先ほども少し述べました「包み込まれ感覚」、そして「自己受容感覚」、「自己効力(有用)感覚」、「社交性感覚」です。実は、この包み込まれ感覚や自己有用感覚、社交性感覚を子どもたちは皆さん方の学校支援によって、また皆さんと触れあうことによって実感しているのです。 
 子どもの声からこのことをみてみます。レジュメに子どもたちのお礼の手紙から抜粋した言葉を記しています。読んでみます。
  「字が上手だね。読みやすいなー。」と言ってくれてうれしかった。
  1問間違えた時、「あとちょっとだね。」と言ってくれてうれしかった。    
「がんばったね。」と言ってくれてうれしかった。
「もちょっと丁寧に書くと、読みやすいよ。」と言ってくれてうれしくなり、やる気が出てきた。
「おはよう。」と大きな声で挨拶してくれて、僕は元気になります。
「おはよう、行ってらっしゃい。」とか「お帰り、学校楽しかった?」と聞いてくれたりしてとてもうれしいです。
 これらの言葉一つ一つから、子どもたちが地域の人から見守られ、「包み込まれている」ことを実感していることがおわかりでしょう。
 この見つめられ見守られているというのは、実は子どもばかりではありません。私の目の前に○○さんがいらっしゃいますが、私は○○さんの一言が忘れられません。どんなことかと言いますと、「スーパーなどで何となく買い物しているとき、子どもから『そろばんの先生、こんにちは!』と声をかけられると気持ちがしゃきっとして背筋もぴんと伸びます。そして子どもたちには『勉強がんばらにゃんよ』などと返します」と。○○さんのように学校支援を通して「子どもから元気をもらっています」という言葉をよく聞きますが、これは学校支援というボランティア活動を通してご自分の自尊感情を高めていらっしゃることです。
 また、皆さんが学校支援ボランティアとして学校教育活動にご協力いただいていますことで子どもたちの「生きる力」をはぐくんでいるのです。
 生きる力とは何かと言いますと、学校の先生方の間でつかわれている言葉で言いますと、
 ・「基礎・基本を確実に身につけ、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」であり、
 ・「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性」であり、
 ・「たくましく生きるための健康や体力などの力」のことです。
 わかりやすく一言で申しますと、「生きる力とは独り立ちできる力」のことです。親は子より先にあの世に逝きます。生きる力とは、親がいなくても自力で生きていく力のことです。
 私は、この生きる力は学校教育だけでなく、異なる世代の人々をはじめ様々な人々と交流し、様々な体験をすることによって育まれると思っています。皆さんの姿を見て子どもたちは生きる力を育んでいるのです。子ども達は自分の生きる目標をボランティアの方々の生き方をモデル化しています。これも子どものお礼の言葉から抜粋したものです。
 「(ボランティアは)お仕事ではないのに自分から進んでやるなんて本当にすごいし、かっこいいと思います。今度から僕も進んでゴミを拾ったりしたいと思います。大人になったらボランティアをしたいです。」
 実は、学校支援ボランティアが始まりますときは、このような力まで子どもたちが身につけるとは思われていませんでした。少なくとも私はこんなことは考えもしませんでした。
 と言いますのも、学校支援ボランティア活動は、地域の力をお借りして教育活動を展開することによって先生方の物理的・精神的負担を軽減すること、地域の方々が生涯学習で学んだ成果を活かす場を作ること、地域の皆さんが学校教育活動へ協力することによって地域の教育力を活性化させること、この3つをねらって始まったのです。もちろん地域の皆さんと子どもたちが触れあうことによって先生との学習だけでは得られないいろいろな体験ができることは期待されていました。それがこれまで話しましたような力を子どもたちが身につけているのです。
 この学校支援ボランティア活動のすばらしさ、必要性、そしてこれから目指す方向を大阪大学の志水宏吉先生は「スクールバスモデル理論」として述べておられます。
 益城町には広安西小学校にスクールバスがあります。天草では、子どもの数の減少で学校の統廃合が進んでいます。先日、天草市の天草町と河浦町の学校を訪問しましたところ、統廃合されて旧天草町に天草小学校1校となっていました。それまでは5〜6校の小学校があったのです。河浦町もそうでした。上益城でも、御船町、山都町でスクールバスがあります。そのスクールバスの4輪、つまり、右前輪が先生方の学習指導、左前輪が生徒指導、右後輪が家庭の教育力向上と学校支援、左後輪が地域の教育力の向上と学校支援、この4つの力がうまくかみ合うことによって車が前に進むと言っておられます。この4輪がうまくかみ合って子どもは成長し、確かな学力を身につける下支えとなっていると述べておられます。志水先生が提唱しておられますように、皆さんの学校支援ボランティア活動が地域の教育力を活性化させているのです。
 ところで皆さん方が学校支援ボランティアとして活動されているのにはどのような意味があるのでしょうか。
 一つは、難しい言葉ですが「知の循環型社会を創り出す」ということです。最近、地球規模の様々な課題が深刻化しています。このような中で世界的にも「持続可能な社会」を作り出すことが求められるようになりました。持続可能な社会とは、一人一人が社会の一員として、社会や環境、経済などの共生を目指して、生産や消費、創造や活用などのバランス感覚を持ちながら、それぞれの責任を果たし、社会全体の活力を持続させようとする考えです。持続可能な社会を創り出す力を持っている社会が「循環型社会」です。学習面においても、一人一人が学んで得た成果を社会に還元し、社会全体の持続的な教育力の向上に貢献するという考えが「知の循環型社会」のことです。またこのことが、持続可能な社会の基盤となると考えられているのです。簡単に言いますと、「公民館講座やカルチャーセンター等で学んだ知識や技能や生きてきた生活の知恵を活かしてボランティア活動をして、社会を活性化させていきましょう」ということです。ボランティア活動をすることで新たな学習課題が見つかりそれを解決するために新たな学習が始まる、これの繰り返しにより、社会全体が学習を通して生涯学習社会を作り出していくと言うことです。これが持続可能な社会の実現につながるというものです。
 皆さんは矢部町の通潤橋を見に行かれたことがあるでしょう。八朔祭りなどでは豪快な放水も見られます。あの通潤橋が小学4年生の社会科の教科書で、教材として扱われたことがありました。熊本県はもとより県外からも小学4年生が社会科学習の一環で通潤橋見学に訪れました。引率の先生方は、事前に、水が不足していた白糸大地に水を引く通水橋であるとか、サイフォンの原理を利用して造られた石橋であるなど下調べをして引率されるのですが、実際に橋を目の前にして子どもたちにわかりやすく説明するのは困難なことです。そこで、通潤橋の学習に来たほとんどの学校が町の教育委員会に説明の依頼していたのです。教育委員会の人は依頼がある度に説明に出向いていましたが、その回数が増えるほどに本来の業務の遂行に支障が出ます。誰か案内してくれる人はいないものかと案内者を捜していました。一方、矢部町には老人大学が公民館講座の一つとして開設されていました。矢部町の老人大学は4年生で卒業旅行や卒業論文の提出などもあっていました。さらに大学院もあり、郷土史などを学んでいました。老人大学で学んでいる人たちは、「自分たちは町の貴重な税金で学ばせてもらっている。何か町に恩返しをしたいものだ」と考えていたのです。この両者の思惑がぴったり一致して通潤橋案内ボランティアが生まれたのです。もう、30年以上続いています。皆さんも腕に案内ボランティアの腕章をつけて通潤橋を案内していらっしゃる人を見られたことがあるでしょう。
 先日、11日は東日本大震災が起きて3年経ち、犠牲者の追悼式が催されました。地震と言えば、昨夜、熊本でも地震があったそうですね。私は全然知りませんでした。今朝起きて、妻が「昨夜地震があったよ。だいぶ揺れたよ。あたは口を開けて気持ちよさそうに寝ていたので起こさなかったけど、震度3くらいだったらしいよ」と言います。携帯を見ますと、メール受信の信号があったので開けてみると「伊予灘で震度5強の地震発生。津波の心配はない」と言うメールが届いていました。
 平成7年1月、阪神淡路大震災が起きました。この年に、通潤橋を見学に来た子どもから案内ボランティアのお一人に、「1月、阪神淡路大震災がありました。この通潤橋はあのような大地震が起きても壊れませんか?」という質問があったそうです。ボランティアの方は、一瞬、熊本でも大地震があったはず。それに耐えて今もこのように強固な橋として残っているのだから「大地震が起きても壊れません」と答えようかと思ったそうです。しかし、自分が勉強していないことを憶測で答えると子どもに間違ったことを教えることになるかも知れないと思い直し、「私はあのような大地震が起きてもこの橋は壊れないということは勉強していません。今の質問について勉強し直してから学校に返事を出しますと言うことでいいですか」と言うと、子どもは「お願いします」と言ったそうです。そこで、そのボランティアの人は県立図書館や町の図書館などで矢部地方の大地震を調べて見ると、
 「通潤橋完成後まもなく安政南海大地震が起き、布田保之助が畳石にわずかのズレもないことを確認した」という資料を見つけることができたそうです。それで、このことを手紙にしたため学校に送ったと聞きました。
 この案内ボランティアの方の行為が、先ほど言いました、学習で得た知識や技能を活かしてボランティアすることによって新たな学習課題が生まれ、新たな学びが始まる」ということです。
 本校にそろばん指導に来ている人たちは公民館講座そろばん教室の休み時間などに、「私がこう教えたが、子どもは理解しなかったようだ。どのように教えたら良かろうか」、「私がこう教えたら、分かったようで子どもがにっこり微笑んでありがとうと言ったよ」などと子どもにわかりやすい教え方を互いに学び合っておられます。これが、学びの風土を地域に作り上げていくと思います。
 もう一つは、学校を核とした新たな地域社会を創り出すことです。私は昭和18年生まれです。私が小さい頃は、地域の文化や学びの中心、知の拠点は学校でした。第2次世界大戦前までは、子どもが生まれると、校長先生に名前をつけてもらうなどがあっていたと聞いたことがあります。「登校」という言葉があるでしょう。登校は、「学校に登る」と書きます。武士が城に上がることを「登城」と言いましたね。お城は平城もありましたが、たいがい小高い山の上に築かれました。熊本城もそうですよね。茶臼山に加藤清正が築城しました。城は高台にあることから「登城」「下城」と言ったのでしょう。藩校もお城の側の高台にありましたことから「登校」と言う言葉ができたそうです。その言葉が今も引き継がれて平らなところにある現在の学校においても「登校」、「下校」が使われています。これは、学校は地域の知の拠点、つまり学校は一人一人の心の高台にあるという思いから「登校」という言葉が引き継がれているのだと思います。私が中学生の頃、テレビがある家など一軒もありませんでした。その頃、私が通っていた中学校の図書室にテレビがありました。今、大相撲が開かれていますが、私が中学生の頃は、栃錦や若乃花の全盛時代でした。先生から許可を得ず内緒でテレビで大相撲を見ているところを見つかり、こっぴどく叱られたことがありました。先生方も子どもに勉強を教えるばかりではなく知識人として崇められ、尊敬されていました。ところが、今はどうでしょう。学校より家庭の方が生活環境はいいでしょう。カラーテレビがはいったのは家庭が先立ったでしょう。家庭のほとんどが冷暖房完備ですが、学校には冷房装置はありません。学歴も保護者の高学歴化が進み、学校に対する人々の思いがかなり変わっているように思います。私は、地域の宝である子どもたちが学び、成長する場である学校は知の拠点であり、地域住民の心のよりどころであるべきだと思います。そして、地域の宝である子どもたちを育てることに学校と地域が責任を持つべきであると思います。これは教育責任とでもいえると思います。これが学校を核とした新たな地域社会の創造だと私は思います。ここ益城中央小学校ではその一角を皆さんが担っておられます。
 おわりに、貝原益軒の『慎思録』の一節を紹介します。こんな場では口に出すべきものではありませんが、皆さんは「接して漏らさず」という言葉をご存じでしょう。この言葉も貝原益軒の言葉です。その益軒が次のような言葉を残しています。
 人、生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。
 学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。
 知って行うと能わざれば、知らざると同じ。
 故に人たる者は、必ず学ばざるべからず。
 学をなす者は、必ず道を知らざるべからず。
 道を知る者は、必ず行わざるべからず。
 道を知ることは至りて難し。
 人間は生まれて学ぼうとしなければ、生まれなかったのと同じである。
 学ぶことを知ったけれども、人間として踏み行うべき道を知らなければ、何も学ばなかったと同じである。
 知っていると言いつつ行わなければ、知らないより悪い。
 従って人間たるものは、必ず学ばなければいけない。
 学ぼうと思う者は、必ず人としての道を知らねばならない。
 道を知っている者は、必ず実践がなければ本物ではない。
 人間としての道を知ることはなかなか難しいが、一所懸命努力して生涯を生きようではないか。
という意味です。
 人間として生まれたからには、学び、学んで得た知識や技能を実践しよう、実践がなければ本物ではない、難しいことではあるが、努力していこうと私たちに諭しています。
 皆さんは、学んで得たことを社会に還元し、子育て、仲間作り、地域づくりに活かしていらっしゃいます。
 これから先、ますます益城中央小学校の学校支援ボランティア活動が充実しますとともに、皆さんの生き甲斐が光り輝きますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。